朝晩、すっかり冷え込む季節になりましたね。
二十四節気を見ると『霜降』という時節。
車の中に一晩置いていたストールが
朝、湿っていた先週末でした。
その先週末、
神武天皇東征にゆかりの在る地を訪れる旅に
出かけておりました。
四日間、SNS完全シャットダウン。
自然と宇宙を堪能する旅となりました。
神武天皇の東征とは
『古事記』に記されている内容では、
神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)のちの神武天皇は、
兄の五瀬命(イツセ)とともに、日向の高千穂で、
葦原中国を治めるにはどこへ行くのが適当か相談し、
東へ行くことに決めたのでした。
そのルートは豊国(大分県)の宇沙(宇佐神宮)
筑紫国(福岡県)の岡田宮ー阿岐国(広島県)の多祁理宮(たけりのみや)
ー吉備国(岡山県)の高島宮
ここまで、わたしの歩みと関係する地であることを
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わたしが『神武東征のルート』の続きを歩もうと決めたのは
9月に入った頃。
わたしも五瀬命の言葉通り、
熊野から入る=日を背にして行く!
と決めたのでした。
熊野の神社へ行くまえに海に入り
そこから上陸しようとしたのです。
古事記に出来るだけ忠実にしようと・・・。
和歌山県の橋本駅に降り、そこからレンタカーを借りて
紀伊半島を海沿いに南下したのでした。
上陸果たす
直線で熊野を目指すことが最短ルートなのですが
出来るだけ『南へ回る』という古事記をイメージして海沿いを通り、
熊野まで4時間強の道のりを走ったのでした。
高速道路を降りて、海に降りられる場所があれば
早めに知らせて欲しい・・・と
”助手席の龍”(笑)にお願いしながら走りました。
今回、設定していたお供の龍は青龍でした。
なぜか ”青い龍”なんだろうなぁと
勝手に設定していました。
ですから、わたしの横にはいつも青い龍。
運転席の後ろの席には神武天皇がいらっしゃるような
感覚で運転していました( ^o^)ノ
今回のレンタカーは、パープル
高貴な方をお乗せするのにピッタリな車でした(^_^)v
なんと言う地名だったのか、覚えていないのですが
”釣りをしている人がいる場所がいい”と
青龍に伝えると、
まもなく、そういう場所が現れ
『ここだなぁ』と感じましたので、すぐ車を停めて海に降りました。
そこで、海から上陸を果たしたのです。
青龍に呼ばれている
初日の予定は、那智大社への参拝でした。
以下のような神武天皇の東征と関わりのある場所です。
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神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)の
御東征を起源としています。
西暦紀元前662年、神日本磐余彦命の一行は
丹敷浦(にしきうら)(現在の那智の浜)に上陸されました。
一行が光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったところ、
那智御瀧を探りあてられ、その御瀧を大己貴命(おおなむちのみこと)の
現れたる御神体としてお祀りされました。
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那智大社に着いたのは15時で、拝観終了時間の16時まで
あとわずかの時でした。
御瀧(飛瀧神社)では、
長距離ドライブの疲れが飛ぶほど、
轟音、水飛沫を浴び、感動の滝との再会でした。
(再会というのは、小学生の頃、両親と那智の滝に来たことがあります。
その時は、こんなことは滅多にないと言われました。
滝の水がなかった時だったんです)
那智大社では、お水を汲んで帰っています。
金泥を溶くために使う水。
龍のパワーのお水での作品作りに使いますヘ(^o^)/
さて・・・宿に着くと
お部屋の名前は『雉』だったのですが
部屋のある棟の名前が
『青龍』でした( ^o^)ノ
やっぱり、『青龍』来てるー♪
そんな熊野入りでした。
熊野の地は『よみがえりの地』と言われます。
それがどうしてなのか、
行く前は、書いてある文章を読んでも
どれもしっくり来なかったのです。
旅を終えて今、わたしは、その”よみがえり”の意味を
深く理解したように感じています。
長くなりますので
またのタイミングでお伝えします。
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いつも、ご訪問ありがとうございます。
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