続 青龍との旅

いつも、ブログにご訪問戴きありがとうございます。

神武天皇の東征ルートを追う旅。
先週末 行って来たので
先日から どんな旅だったのか書いています。

前回のブログ

下矢印  下矢印

旅の2日目は、
熊野速玉大社ー上倉神社ー熊野本宮大社ー玉置神社
というルートで北上しました。

紀伊山地の険しさが伝わる道中でした。

猿田彦に出逢う

熊野速玉大社境内にある
中四社の第八殿に鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズ)=神武天皇が
祀られています。

その摂社である上倉神社は、

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天照大神の子孫の高倉下命が神武に神剣を奉げ、
これを得た神武は、天照大神の遣わした八咫烏の道案内で軍を進め、
熊野・大和を制圧。

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と言われ『古事記』『日本書紀』のくだりにある
高倉下命が神剣を授けた場所。

ここの参拝道は、結構な階段(^^;)

登拝口にある猿田彦の社で
道案内をお願いし、

急な階段を眺めて覚悟を決めていたら

猿田彦さんが現れたのです(笑)


赤いかたが、この日の猿田彦さんです♪ 

猿田彦さんは、
ご命日であるお母様のご供養をされるために来られていて
『一緒に供養しませんか』と言ってくださいました。

神倉神社のゴトビキ岩の上に坐す社からの景色は
それは素晴らしかったです。

しかし、高いところ苦手(=_=)

お供えを並べられ、

天津祝詞を奏上。

その間、足がすくむ思いで立っていましたが
ふと・・・

”神武天皇がここで剣を戴いたのなら
わたしも頂くであろう・・・”

と、感じて
足の震えを感じながら、恐怖で前のめりになっているわたしに
真っ直ぐ立つように
剣が真上から身体を貫いて、足元のゴトビキ岩に刺さるイメージで

どんどん身体が真っ直ぐになって行きました。

祝詞が終わり、目を開けると
また高い場所での恐怖が戻ってくるのですが

祝詞の間、平気になって行ったのが
不思議な感覚でした。

その後、猿田彦さんと下山。

御縁とは不思議なものだと感じましたね。

そこから熊野本宮大社へ。

ここの大斎原でのグラウディングの感覚は、
ゴトビキ岩での感覚とは違い、

優しい大斎原の土地に包まれるかのようでした。

覚悟の地へ

午後から、神武天皇ゆかりの熊野三山の奥宮 玉置神社へ。

紀伊山地 1000メートルの位置に坐す玉置神社は、
道中、とにかく登る、急カーブ、登る、急カーブの連続(汗)

車でも大変なのですから
熊野を歩いて参拝する人々は、どのような思いで登られたのでしょうか。


玉置神社駐車場から紀伊山地を眺める  

玉置神社と神武天皇の関わり

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熊野に上陸した神武天皇は、
現地氏族の神格化と言われるヤタガラスの案内で
熊野の森に分け入っていく。

その時に神々の証である神宝「十種神宝」の中から「玉」を置いて、
その後の武運を祈願されたと伝わっているのが玉置神社。

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本殿に祀られている神武天皇にご挨拶し、下山。

この下山もかなりの覚悟のいる道で
ブレーキ、カーブ、ブレーキの連続。

紀伊山地は火山の隆起で出来たとされていますが
国道に出ても、熊野川沿いに走る道が
くねくねしたり、長いトンネル続きで
車でも容易に走れる道ではないですね。

そうして日が落ち、暗くなり
秘境である室生という土地に着いたのが18時半。

街灯のない所では、道に鹿や猿がいたり(汗)  

迷って民家の庭に入り・・・(泣×2)

暗くて道が見えず、脱輪の恐怖があり・・・(叫)

ナビがアテにならず・・・(失)

この旅では、機械に頼らず
パートナー(青龍と神武天皇)を信じ、
自分の感覚を大切にする・・・という訓練も結構させられました。

それは出発前から『起こることは宇宙の采配である』 
ということを受け入れるように
設定していたからなのだと思います。

設定することと、引き受けること

ネットで玉置神社を検索すると、

『呼ばれた人しかたどり着けない』という文を見ますが

先日、岡山県のサムハラ神社へも行きました。

その神社も『呼ばれた人しかたどり着けない』
言われています。

それは、どういう意味なんだろう・・・
とわたしなりに考えました。

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覚悟が必要だと言うことです。

”怖い” ”無理” などを優先して行動しない人は、呼ばれない。

自分が『行く』と決めるとか、
『やる!』と決めるから、

用意されるものなんだと実感しています。

どのように行動するのかを設定し

起こることを引き受ける覚悟。 

そのような学びを与えてくれるのが

玉置神社を含める修験道ゆかりの場所なのでしょう。

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その夜 着いた民宿のお部屋が『雲龍』

夕食を食べるときにあった背後の衝立に『青龍』

民宿のかたにお聴きすると
この地は、青龍の御縁がある場所だと言うことでした。

やはり最初から『青龍』と共に歩む道だったようですね。


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旅の最終日のお話は、また後日に。

旅を通して

たくさんの成長をさせて頂きました。

是非、お読みください。

キラキラ33キラキラ

■竜の日のおはなし会■

《 龍とつながりのあるかたへ 》 

わたしは、龍と御縁があります。

ヒーリングを伝授されていますが、それが【龍氣ヒーリング】

そして、【龍氣ヒーリング】の宗師にわたしの守護龍神を描いて戴いたときには
チャネリングで守護龍神様から御言葉を戴きました。
その一部です。

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恐怖に意識を向けず、光を放ち、マヤの暦とシンクロするのです。
そして、いつでもわたしに語りかけてください。

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そして、この1ヶ月後、偶然にマヤ暦の講師の方と嚴島でお会いすることに!!

わたしの守護龍神様は、嚴島の姫様を守護されていたということで
嚴島でのシンクロには、驚き、
龍神様からのメッセージの通り、マヤ暦とシンクロするにはマヤ暦を学ぼうと
わたしのアトリエでマヤ暦の講座を2クールに渡り開催して戴きました。

また、過去世の絵を描かれるかたに わたしの過去を描いて戴くと

わたしは岡山県で宮大工をしていたそうなのですが
その腕は、今の中国地方という範囲で知られるくらい名工だったようです。

寺社仏閣にある龍を彫っていたと言うことでした。

そのかたから、
「いまから龍の絵を描くようになる。来世では、初めから龍神を描く。
今世では、その練習をしておくといい」

と、伝えて戴き、龍神アートを練習するようになりました。

そして、今年になり、龍体フトマニ書という龍の波動の文字に出逢います。


その【龍体フトマニ書】の代表も、感じられるかたなのですが
わたしは龍との御縁がある・・・とおっしゃってました。

龍との御縁を信じずにはいられません。

わたしは、まだまだ龍や龍神がなんなのか?
語れるほど理解しているわけではありません。

知っていることはシェアして、またご存じのかたからは
お聴きしてみたいと思っています。

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そのような相互で おしゃべりする場を創ります。

「竜の日」としているのは、
マヤ暦で「赤い竜」の日というエネルギーの日が
20日に1度巡って来ます。

そのタイミングで おはなし会を開くことにより
何か面白いシンクロが生まれるのでは・・・と感じています。

参加は無料です。
談話室のように気軽におしゃべりできたらうれしいです。

楽しく「竜の日」を過ごしましょう♪

日程&お申込み
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セラピスト&ヒーラーの経験をもとに
作ってみましたら、大人気です。
あなたも ぜひ、診断チェック!!

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垣間見ることができますよ。

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